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No.66
 盆迎えにあたり・・・ (2006/8)

一輪の蓮の花

 八月は、葉月と言いまして来る十三日は、月おくれ盆迎え火にあたります。十六日が月おくれ 盆送り火となり、旧盆の十三日〜十六日の間は、例えどんな小さな虫たちでも生ある命の尊さを大切にして、ご先祖様を偲びながらの、お盆様をお迎えしたいと思っております。先祖のお墓を掃除して、季節のお花を一輪飾る。一見簡単ではあるが誰でも出来るかと言うとなかなか出来ない行いです。

 私達花屋は、先祖を思うお客様とお花を通して、もっとも身近にそして花と関わって、生活のご相談されたり、頼られたりする、最も庶民的で身近な処に居る職業のように思います。

 今日は、永六輔氏の文藝春秋から発刊されました <あの世、心得> のなかから、ご紹介いたします。死んだら野ざらしが当たり前、江戸時代までは、一般市民の遺体はみんな、棺も墓なんてものはなくて、その辺にすてられていた。吉原の投げ込み寺や落語や歌舞伎の野ざらしと言う言葉がありますが、あれは、捨ててある遺体の事を言うのである。仏教の盛んになった奈良時代では、<遺体をそこらに捨てるじゃない>と言うおふれがしょっちゅう出ていた。この考え方は、といも健康的である。死んだら遺体は、モノだから捨てる。そのうち土に還る。

棺にクギを打つと言うことは、二通りの意味があります。その一つは、お願いだから二度と出てこないでねと、出てほしくないからしっかり蓋をして重石をおいたりクギを打つ、もう一つは、いつでも出てきてね、出てきてほいしから棺の蓋をすこしずらして閉める。だから本当は、蓋にクギを打つのは、間違っているのだ。時々お葬式でクギをしっかり打っているのを見ると<本心は、どっち?>と思ってしまう。還ってきてほいしとおもえば、クギはやさしく打ちましょう。

又、帰って来て下さい、の祈りは、お盆やお彼岸という行事につながる。昔は、ネオンも無く真っ暗だったから、間違わないようにと、迎え火をして亡くなった人の帰りをまっていた。盆踊りで賑やかにして、ご先祖様を呼び寄せた。戻る時は、道を間違わない様にと、送り火して、お送りした。だけど、昨今のお盆は、自分がふるさとに帰る。ことになっています。帰る方も、先祖様のお帰りを待つのではなく、東京の息子が帰ってくるのを待つようになっている。

故人の事を時には話題にしよう・・・・。お葬式にお金をかけるよりも何よりも、故人が喜ぶのは、話題にしてあげる事だとおもいます。それは、葬式だけに限らず、ご法事の時もそうでしょう。悪口でも構わないですし、話題にして上げて<あいつ、昔こうだったんだぜ>などと、ワイワイやるのが、一番の供養ではないでしょうか。話題にのぼると言うことは、生きてきた証でもあります。そして、話題にのぼらなく成ったときが、その人の本当の死だ、とも言えるかも知れません。

盆迎えの十三日には、ご先祖様の周りを掃除して、お花を一輪かざって頂けたら、今年は、いい供養が出来たと、きっと思えることでしょう。

花のあらいでは、お盆迎えのお手伝いやイベントで応援しています。ホームページでもご紹介しています。   http://www.hanano-arai.co.jp/



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